道の駅いとだ紹介
道の駅いとだは、豊前と筑前の国境の地として関所が設けられ、旧大宰府官道が通過する古代から知られた地であり、現在も主要国道201号線バイパスが東西に横断する福岡県北東部の交通の要衝としての地域であり、周辺道路は冬季の路面凍結区間や、異常気象における通行規制箇所に隣接しており、道路利用者へ情報提供を行う場所として適しています。
道の駅いとだ アクセス
国道201号線沿いの糸田町と田川市の境にある「関の山」交差点
福岡ICより行橋市方面へ約34km
北九州市中心部より一般国道322号を経由して約36km
西鉄バス「道の駅いとだ・中村美術館前」より徒歩1分
JR平成筑豊鉄道「田川後藤寺駅」より車で約10分
道の駅いとだ 名前の由来
古くは弥生の時代より稲作がおこなわれていた土地でしたが、今から1500年ほど昔、天智天皇(668年)が筑紫要害を巡視のおり、同行した大伴金村(右大臣金連公)が糸田の郷に至った際、水不足に悩む民衆の苦難を見て権現神に祈り、鉾を用いて地中を探り神泉(泌泉)を掘り当てたところ、清水がこんこんと湧き出し、田数138町8反も干ばつ時に枯死を知らず、豊作が続くところから「いとよき田」→「いと田」と呼ばれるようになったという故事にちなんで駅名としました。
道の駅いとだに併設されている物産館の名称は「おじゅごんち市場からすお」。
変わった名前に込められた意味をご紹介します。
変わった名前に込められた意味をご紹介します。
「おじゅごんち」とは
「まじない」のような言葉ですが、金村神社のお田植祭が
旧暦の正月15日に行われていたらしく、旧暦「太陰暦」は毎年の月日が現在のように同じではないため、明治時代から改められ、3月15日(じゅうごにち)になりました。
そのことを示す最も古い享保16年(1731年)の書物では、月は一定でなくとも日にちは15日で固定されていることが記載されており、「じゅうごにち」が、いつのころからか「おじゅごんち」と呼ばれるようになった語源とも考えられてます。
施設に立ち寄った多くの人に「この名称はどういう意味だろう」と興味を引く一方、糸田の観光も紹介できる糸口になればとの思いで名付けました。
旧暦の正月15日に行われていたらしく、旧暦「太陰暦」は毎年の月日が現在のように同じではないため、明治時代から改められ、3月15日(じゅうごにち)になりました。
そのことを示す最も古い享保16年(1731年)の書物では、月は一定でなくとも日にちは15日で固定されていることが記載されており、「じゅうごにち」が、いつのころからか「おじゅごんち」と呼ばれるようになった語源とも考えられてます。
施設に立ち寄った多くの人に「この名称はどういう意味だろう」と興味を引く一方、糸田の観光も紹介できる糸口になればとの思いで名付けました。
「からすお」の語源
道の駅の近く糸田町南糸田と飯塚市鹿毛馬との間にある国道201号線(旧道)の峠に烏尾峠(からすおとうげ)と言うのがあります。
貝原益軒の記した「続筑前風土記・嘉麻郡庄内河内」の中に、"仁保村より東に越えて、豊前に行く道有り。大道なり。飯塚より豊前田川郡糸田へに里半余有り。仁保と糸田の間、からす尾嶺あり。これ筑前豊前の鏡也。仁保より不全境迄二十六町三十四間有り。糸田より香春へゆく。"と記述がありますが、「からすお」の名称の由来は、峠にさしかかった神武天皇一行が、一羽の烏(からす)に導かれ、悪天候の中を無事に峠越えができたという伝説にちなんでつけられたそうです。
貝原益軒の記した「続筑前風土記・嘉麻郡庄内河内」の中に、"仁保村より東に越えて、豊前に行く道有り。大道なり。飯塚より豊前田川郡糸田へに里半余有り。仁保と糸田の間、からす尾嶺あり。これ筑前豊前の鏡也。仁保より不全境迄二十六町三十四間有り。糸田より香春へゆく。"と記述がありますが、「からすお」の名称の由来は、峠にさしかかった神武天皇一行が、一羽の烏(からす)に導かれ、悪天候の中を無事に峠越えができたという伝説にちなんでつけられたそうです。